山形の葬儀における日赤の謎

3年ぶりにブログに書きます。FBが便利なものでそちらにシフトしていましたが、長い文章はFBには不向きなため、久々に再開します。いつまで続くのかわかりませんが。「はてな」独特記載の仕方も忘れてしまったため、最初は見栄えがよくないとは思いますが。
 
先週、実母の葬儀が山形であり、その時に山形における日赤の謎を知りました。ちなみに私は生まれは山形ですが、生まれてすぐに秋田に引っ越し、高校卒業のタイミングで実家は山形に戻りましたが私は山形以外の大学に行ったため、私は帰省の際に山形に戻る以外は山形に住んだことはなく、したがって山形の常識には疎いです。
 
その日赤の謎を説明する前に、まずは以下を読んでいただいたほうがいいと思います(いずれも、葬儀が終わってから私が見つけたもの)。
 
後者の方の地域が不明ですが、前者は確実に山形市です。そしてどちらも、日赤からの弔辞が披露されるのは「当たり前」という記述になっています。
 
実母が亡くなった後、数時間後から葬儀屋さんと葬儀の段取り調整が始まりました。私には兄がいますが兄はまだ到着していないので、私が葬儀屋と段取り調整をするしかありません(そもそもその葬儀屋に登録していたのも私ですから)。母が無くなって3時間後くらいですからこちらも頭が働いていませんし、葬儀慣れしているわけではありませんし、山形の葬儀のやり方に慣れているわけではありません。葬儀屋さんから、日赤の弔辞はどうされますか?町内会長からの弔辞はどうされますか?と聞かれ、???とは思いましたが、そういうめんどくさいことはいいよと断りました。翌日、私が実家にいた際に実家の近所の組長さん(町内会長の下にいくつかの組の組長がいる)という方が訪ねてきて、「町内会長の弔辞はどうしますか?無理強いするわけではなく、やってもやらなくてもどちらでもいいのですが、やるのであれば組長の私から町内会長に依頼しますよ。」と丁寧に打診され、そこまで言うのであれば無下に断る必要もないと思い、お願いします、と回答しました。その後、組長さんは直ちに町内会長に話に行き、町内会長さんも直ちに葬儀場に向かったようでした。その時、葬儀場には私の兄がいて、兄には組長さんからこういう話があった、と電話で伝えていました。その後、葬儀場に私が戻った時、兄からこんな説明を受けました(兄も山形の知識については私と同レベル)。
 
町内会長さんという人がやってきて、日赤にの弔辞はどうしますか?と聞かれたのでやらない、と言ったら、じゃあ、私の弔辞は無しですね、と帰ってしまった。
 
兄も私も何があったのだろう?町内会長さんに失礼なことをしたのかな?とちんぷんかんぷん。それでも気になるので、葬儀屋さんにこれこれこういうことがありました、そもそもあなたから日赤の弔辞はどうしますか、と訊かれていましたが、そもそもどういうことなのかよくわからないので説明してください、とお願いしました。
 
葬儀屋曰く。山形では葬儀の際には日赤からの弔辞(実際は弔電)を町内会長が代読するという風習がある、つまり、町内会長独自の弔辞があるわけではなく単に代読するだけ、時には町内会長の調整がつかない等の際には誰がそれを代読するのかでもめることがあり結構重要なポイントとのこと。
 
ふ~ん、なるほど。それで町内会長さんは、日赤の弔辞が不要であれば私の登場は無いわけですね、と帰ったということと納得。特にそれを町内会長さんが不愉快に感じている様子も無かった、と兄が言うので、葬儀は日赤の弔辞は無しで実施することにしました。
 
さて、葬儀は葬儀屋専属の司会者が進行するということで、事前に司会者と簡単な打ち合わせがありました。そこでも日赤はどうするか、という確認はあり、やりません、不要です、と説明しました。ところが、です。葬儀が開始され、ここでは弔辞というタイミングであろう、というところに来たところで司会者がこう言って、私も兄も凍り付きました。「どなたか弔辞を披露される方はいらっしゃいませんか?」。えっ?どなたかいらっしゃいませんか?ここで、私がやります、っと挙手するのが山形の風習?私も兄も、はい!っと挙手する人がいたらどうしよう、とギクッとしましたが誰も挙手することなく、葬儀は次に進みました。
 
そういえば、最初っから母の遺体の前には、蝋燭か線香か確認していませんが、日赤と書かれた長細い箱がありました。山形では葬儀における日赤は欠かせない存在のようです。
 
そのほか山形のお葬式には独特の風習があり、私の感覚では通夜→告別式→火葬、という流れですが、山形ではこの順番が異なり、納棺(あまり通夜とは言わない。また親族のみ)→火葬→葬儀(あまり告別式とは言わない)の順番だったり(つまり、葬儀に参列に来た段階ではすでに骨になっており顔を見ることはできない)、亡くなったことを知らしめるために山形新聞に掲載する風習があったり(ただ、線香をあげさせてください、と見ず知らずの人がやってきて怪しいものを売り込んだりするので、最近は新聞に載せない人が多くなっている)、納棺は親族のみなので平服でいい(私は喪主代行のような立場なのにTシャツにジーンズでした)とか、なかなかユニークな風習があることがわかりました。ただし、最近はそういう色も薄まっているようです。今回はそういうやり方を知らない私が段取りを決めていったので、亡くなった母の兄弟が何か言ってくるかもしれない、と思って構えていましたが何事もなく葬儀が終わりほっとしたわけですが、結構、ビクビクものの葬儀でした。
 
山形の葬儀については以下を見つけましたが、葬儀屋からは告げ人や御詠歌の話はありませんでした。ただ、もう半世紀も前のことですが、私の祖母が亡くなった時、御詠歌はありましたね。