介護帰省初日 (2015.08.27)

久々の介護休暇。ずっと仕事が忙しく休みが取れず、また、たまに休みが取れる時があっても土日、プライベートで行事(自治会活動。子供のイベント等)があり山形に行けなかったりで、しばらく間が空いてしまいました。

2時に起きて出発。7時過ぎに安達太良SAの2Fで朝食。\580也。WAONで支払い可能。

安達太良SA下りはウルトラマンティガ

9時過ぎに自宅到着。急いで銀行通帳等を確認。前、ちゃんと分類したのにぐちゃぐちゃ。仕方ない。無くなっているものが無いだけでもラッキーと思うしかない。そして冷蔵庫の中を確認。今日の晩御飯、明日の朝ごはんをどの程度、何を買わないといけないのかを確認。そして家の中をざっと確認して、買わないといけないものを確認。そして銀行に出発。

数週間前、母の定期預金の1つ(きらやか銀行)の方は兄と伯父が協力して解約を実行。伯父がそこの銀行に退職後も出入りしている関係で、なんとか解約に成功。今日はダメ元で山形銀行の定期解約に挑戦。ところがあっさりOK。決め手は、そこに母が普通口座を持っており、形式的には定期を解約して普通口座に入れ直しですが、実質的には銀行内でのお金の移動なので。とはいえ、私も身分証明書、母の身分証明書、母が確かに施設に入所していることの証明書等を求められましたが、そこはきちんと整理してすべて持っているのでなんなくクリア。驚いたのが、私が書いた母の住所を見て、対応してくれたきれいなお姉さん(本当に美人でした)が、「緑ヶ丘ですよね?」と言いビックリ。緑ヶ丘は正式な住所には出てこない通称。なんで知っているの?と思ったら、番地で4つ違いがその人の母の実家だとか。う〜む。ローカルだ。それで信用されたわけではないとは思いますが、窓口で支店長レベルと交渉だな、と意気込んでいた私はあまりのあっけなさに、なんか腰砕け状態。

ついでに、番号がわからなくなっていた父のキャッシュカードの番号変更をお願いしたら、それは再発行になります、1200円かかるのですが・・・と言われ、そんなにかかるのかとビックリ。仕方ないのでお願いします、と書類を作り始めたのがいいのですが、肝心の印鑑がありません。印鑑置き場にあるものをごっそり持ってきたのですが、どれも違う。他に印鑑ある?と父に聞いても、さぁ?と言うばかり。仕方ないので出直します、と言って実家に逆戻り。印鑑置き場を探しても他に印鑑はありません。困ったなー、と思っていたら、父はこれ、と持ってきました。どこにあったの?と聞くと、ここ、とあるところを指さします。知ってたの?と聞くと、知ってた、と言う。だったら銀行でここにあるよ、と教えてくれればまだ安心したおに。もっとも、こんな父のちぐはぐな応対は日常茶飯事。もう90歳近くだから仕方ないけどね。銀行に舞い戻り、処理完了。問題はキャッシュカードが10日後くらいに書留で郵送されるのですが、それを父が受け取れるか。受け取れないと銀行に戻され、せっかく1200円使って再発行したのにそれが無効となり、また1200円払って再発行するしかありません。頼むから受け取ってね。

そのあと、母の施設に行って面会。しばらく会っていませんが、特に変わりはなさそう。

母の昼食が始まったところで施設を出て、父と昼食。そして補聴器の点検に補聴器を買った店に行きました。実は州週間前、父が迷子になって警察に保護されてしまいました。人伝えなのではっきりしませんが、警察が何を聞いてもちぐはぐな回答をするので痴呆では?と疑われたそうです。最初に兄に連絡が行き、警察に保護される数日前に実家に行っていた兄が、補聴器、聞こえてないんじゃない?と言っていたので、父に何気なく、買ってからどれくらいたつ?買ってからその店に行ってみたことある?等と聞いたところ、数年前、そして一回も行っていない、電池はちゃんと交換している、との回答。それが今回の私の介護帰省の1週間前。買った店を聞き出し電話で確認すると、買ったのは昨年の6月、確かにその後、一回も来ていません、電池は初回なので多めに渡していますが、もう切れていると思うのですが・・・という回答。朝、実家で確認したら電池はかなり残っていました。というか、使っているほうが少ない。これは怪しい、ということで店に連れて行ったのですが、案の定、電池は切れていました。全く無意味な補聴器を使っていたわけです。まぁ、仕方ないよな、もうすぐ90歳だもんな。電池交換の他、掃除、部品交換、聴力検査、そして調整といろいろやってくれました。無料です。最初、怪しい店で買わされたんじゃないか?と思っていたのですが、そんなことはありませんでした。しっかりしたお店です。なんだかんだと2,3時間、かかりましたが、実家に帰り、父がテレビをつけた時、あまりの音量の大きさに父もビックリしていたので補聴器は有効に動いている模様。そう、父はテレビが聞こえないので常に大音量にしていたのです。この年齢になって性格を変えろと言っても無理ですが、父はどちらかというとプライドが高く、人にわからない、教えてくれ、と素直に言えない人。もしかしたらおかしいと思っていたのかもしれませんが、言えずにずっとやっていたのでしょう。警察に保護された時も、耳が聞こえないと言えばいいのに言わなかったので、ちぐはぐな対応になったのでしょう。

何はともあれ、最大の難関であった母の定期は全部解約して普通口座に移り、施設の費用に使うことができうようになったのでめでたし、と言うことなのでしょう。