亡くなった母の銀行口座の手続き

さて、亡くなった母の銀行口座の処理について書いておこう。
 
以前、母が脳梗塞で倒れ半身不随となり失語となった後、母の定期預金を解約する際の大変さを実感したので複数あった母の銀行口座を集約して1つ(某Y銀行)にしており、かつ定期解約の際の経験があったので、今回は比較的すんなり済んだと思う。
 
まず、亡くなった人の銀行口座のお金を(生存している)他の人に渡すのは相続になる。したがって、お金的にみると口座の解約とお金の引き落とし、または他口座への振り込みとはなるが、法律に従った相続処理を行うことになる。話を簡単にするため、今回のうちのように、母が亡くなり夫である父はまだ生きており、子供は私と兄の二人だけということで書いていく。かつ、遺言は無く、母のお金は全部父の口座に移動し、兄と私は受け取らない。また、父は高齢のため手続きができず、こういうことに慣れている私が全部手続きを実施。また、母の銀行口座はY銀行の山形市の支店にあり、ただ私は東京在住である。以下の説明は今回のY銀行での相続をベースに記載するが、基本は相続の法律に則っているはずなので、多少の差はあってもどこでも同じと思われる。
 
手続きは以下のステップで進められる。
 
  1. (できれば口座のある) 銀行店舗に行って、相続手続きを相談する。ここで、相続に必要な書類を確認する。
  2. 必要な書類を持って銀行に行き、相続届け(書類)をもらう。処理対象の通帳、銀行印の持参も必須と思われる。さらに私の身分確認のために免許証等も必須と思われる。なお、ここでもらう相続届には、亡くなった人の口座番号と最終預金高が記入されているので、完全なブランクシートではない。要するに、この額のお金をどのように相続処理するのか、を記載するのが相続届。
  3. 相続届に、全相続人(今回の場合は父と兄と私)が記入、実印での捺印し、振込口座を記入する。相続人が全員同じ場所にいるのであれば話は早いが、異なる場所にいる場合、順番に回して記入、捺印する必要があるので大変。
  4. 記入済/捺印済の相続届を持って銀行に行く。また、振込先の記入が正しいことを確認するため、振り込み先の通帳もあったほうがいいと思われる。さらに処理対象の通帳、キャッシュカードも持参して引き渡す。
  5. 現金で受け取る場合は店舗に行くが、振り込みの場合は振り込みを待てばいい。
今回は上記ステップの 1 と 2 は一回で終えた。事前に電話で相談し、必要な書類をほぼ用意してから山形の支店に行ったからである。最初の電話で、いきなり銀行に行っても相続届はもらえないと言われなぜだろうと思っていたが、相続方法などにより相続届の用紙が異なるということと、そこに対象口座の最終残高が記入されるため、その口座の存在とせめてその人が亡くなったことの証明が無いと発行できないからであろう。
 
さて、用意すべき書類は以下となる。相続の方法によって異なるが、上で説明したもっともシンプルなケースの場合である。なお、役所からもらった書類は銀行側はコピーを取るだけで返却するので、余分に取っておく必要はない。
 
  • 亡くなった母の生まれてから死亡までの連続した戸籍謄本すべて。単に戸籍謄本ください、ではなく、相続のために生まれてからの全部の戸籍謄本と言って役所でもらえばいい。昭和の人は、昔の手書きの謄本から5セットくらいの謄本がどさっと渡される。謄本1つ300円くらいだろうと思って役所に行ってはいけない。1冊ごと費用が発生するので数千円必要となる(銀行側はコピーをとって返却することをしらなかったため、余分に発行してももらった結果、他の書類発行も併せて8000円くらいかかった。実際は2000円くらいで済んだと思われる)。これを使って、銀行が誰が相続人であるのかを確認する。例えば隠された相続人がいるのに相続届に記入していないと、不正に相続しようとしていることになるわけで、それを銀行側が見極めるために必要な書類である。
  • 法定相続人である父、兄、私の戸籍謄本。これは上記の生まれからのすべての謄本ではなく、通常の戸籍謄本(全部事項証明書)。父の戸籍謄本には亡くなった母の記載があるが、母の欄には亡くなったことを示す [除籍] と記入されているはず。これをもって、相続関係を確認し、かつ母が亡くなったことを確認する。亡くなった際、医者が作成し役所に提出する死亡届は不要。除籍と書かれた戸籍謄本で死亡を確認する。また、死亡届を役所に提出した後、役所が言うには「戸籍が動いている」期間が1週間程度あるため、除籍と記入された戸籍謄本をもらえるまでは死亡届の後、1週間程度かかる。役所に確認すると、いつから更新された戸籍謄本を入手可能なのかは教えてくれるはず。
  • 法定相続人である父、兄、私の印鑑(登録)証明書。これと同じ印鑑で相続届に捺印する。またこれと同じ住所を相続届に記入する(印鑑証明と戸籍の住所のどちらを使うのかは不明。おそらく印鑑証明と思われるが要確認。同じ住所でも戸籍のほうが最後の部分が無く短いですよね。印鑑証明はフルの住所なので、多分こっちと思われる)。
基本はこれらの書類を取り揃えて銀行に行き、どのように相続するのかを確認した後、それに従った相続届の用紙を銀行からもらうのであるが、今回は私が簡単に山形には行くことができないこと、かつ、兄から郵送してもらった書類(戸籍謄本と印鑑証明書)が間に合わなかったこともあり、兄の書類だけ後追いでの提出ということにして山形の店舗で相続届をもらうことができた。また、また山形に行くこともままならないので、今後は東京支店での手続きということにしてもらった。
 
実際にお金を相続することを承継というらしいが、今回は父だけが承継するので父が単独承継者であり、兄と私は(相続の権利はあるけれども)預金等を承継しない相続人、ということになる。相続届には、亡くなった母の預金を父が100%承継する、そして兄と私は相続の権利はあるけれどもそれを放棄する、ということを署名し、実印を押し、そして振込先はここ、という情報が記載されていることになる(承継する人を記入する欄と承継しない人を記入する欄に分かれている)。実印が正しいことを印鑑証明書で確認する。記載する住所は、たとえば印鑑証明書では二町目三番地と書かれていても 2-3 のように簡易的な表記でも受け付けてくれるが、完全に一致させたほうが間違いはないであろう。
 
なお、今回は100%父が承継だったので最初は話題にも上らなかったが、後から確認したところでは、例えば兄も私も承継はするが、振込先は父の口座のみ、ということもアリとのこと。父の口座に振り込まれた後、どのように分けるのかはどうぞご自由に、ということらしい。ただし、それではもめるので、最初から例えば父の口座にいくら、兄の口座にいくら、私の口座にいくら、とする場合は、また別の相続届があるとのこと。私がもらったのは単独承継のもっともシンプルなもので、振込先が1つしか記載できないものであった。なので、最初に銀行側はどのように承継するのかを確認し、それにあった書類を出してくれたようである。
 
さて、山形で相続届をもらってすぐ、父に住所、氏名を記入してもらい、父の実印を押した(戸籍や印鑑証明はその前に入手済み)。高齢の父に記入させるにはリスクがあったので、鉛筆で薄く書いてこの上をボールペンでなぞれ、と父に言っても、父はその薄く書いた氏名、住所は正しい、と言うだけで書いてくれない(耳が遠いので会話がなかなか成り立たない)。いやいや、そーじゃなくてさ、これは鉛筆だから、この上をボールペンで書いてほしいんだよ、と言ってもなかなか書いてくれない。また、いざ書こうとするとその下の欄に書こうとしたりしてほとほと困ったが、なんとか書いてもらった。これが今回の相続の最大の山場であった。私の記入と捺印は東京に戻ってから行い、それを兄に郵送して記入、捺印してもらい、またそれを私に送り返してもらった。こんなシンプルな家族、相続でもこんなに大変なのに、実は隠し子がいたとか、海外に住んでいるとか(その場合、印鑑証明はどうするんだろう?)、行方不明とか音信不通とか、そういうことを考えると気が遠くなる作業である。また兄も私もさっぱりした人なので100%父が承継でよかったが(どっちにしろ、そのあと、兄や私が山形に行った際にその口座のお金で買い物したり、デイサービスの支払いをしたりしているので)、通常は俺は母の世話をこれだけしたのにお前と同じ割合では納得しない、とかでもめるのか?また、1つの口座でも大変なのに、それが複数あったら複数回これを繰り返すことになるとぞっとする。事前に1つにまとめておいてよかった。数千円くらいしか入っていない口座が残っていたら、手続きの手間とか考えると放棄するほうが安くあがることになるのであろう(銀行側は休眠口座が増えるので困るはずではあるが・・・)。
 
そして最後の書類を持ってY銀行の東京支店に行き、無事、書類は全部受理され、あとは1週間程度で振り込まれることになった。ただ、口座の店舗とは違うところでの手続きなので、かつ、振込先の口座(これも母と同じY銀行の支店)の通帳は持っていなかったので、確認のため東京-山形間で電話連絡し合っていたようで、結構待ちがあったけれども、銀行側も丁寧に対応してくれたと思う。
 
東京支店で書類は受理され、本当はこれで終わり、のはずであったが、ここで最後の山が訪れた。もう使用できない母の通帳は父のところに書留で送られます、と言われ、うーん、それはどうかな、受け取れるかな?とつぶやいたところから、終わりかけていた手続きがまた長くなってしまった。えっ?簡易書留で配達されるのでサインして受け取ってもらえばいいのですが?と銀行の担当者が当然の反応。いや、それはそうなんですが、じつはそれが大変なんですよ、以前、父が新たな銀行口座を作ったけれどもキャッシュカードを受け取らないことがありまして・・・と説明。郵便配達で来たけれども会えず、再配達でも会えず、要連絡にも応じず、ということで、キャッシュカードは銀行に戻ってしまった、銀行は何度も電話したけれども電話に出ない(耳が遠いので聞こえない)、高齢になると大変でして・・・、なので私が受け取ります、と言うと、いや、これは相続する人に送ることになっておりまして・・・と銀行側も困り顔。なるほど、振込先は父の口座だけにしておいて、ただし私も承継することにしておけばよかったのですね、ということにはなったが後の祭り。さすがに通帳の送り先までの想定は銀行側もできなかったようだ。父に送って受け取れなかった場合、戻されますよね、どこに戻りますか?と聞くと、東京支店ですという回答。う~ん、ここに戻ったら最悪。私が受け取れないわけだから。山形の支店に置いてもらうことはできませんか?と聞くと、できると思いますが、お父様は受け取りに来れますか?と聞かれ、これもう~ん。タクシーで行けばできるとは思うが、手ぶらで行っても受け取れるものでもないのでこれも難しい。そもそも電話で依頼しても、そんな高度(?)なことを耳が遠い父に通じるわけはない。山形の支店に置いてもらい、私が受け取りに行くというのはダメですか?でも、相続しないのでダメですよね?などと話しているうちに、担当者が相談しますのでしばらくお待ちください、と言って後ろに下がって調整を始めた。待つことしばし。結論としては銀行側が状況を理解し、大丈夫と思うが東京支店で私が受け取る方向で調整してくれ、もしそれがダメな場合、次の手として山形の支店で私が受け取る、ということに落ち着いた。すでにゼロ円になっている通帳でもう使えない通帳とはいえ、銀行側も勝手にルールを曲げることはできないはず。別銀行の話であるが母の定期を解約する際も、書くことができない、話すことができない母の署名が無いと解約できないという銀行側と押し問答があったが、最後は妥協案で解決に持ってきた。銀行側も他人のお金を預かっているので安易な対応ができないのはわかるし銀行側を責めるつもりも毛頭ないが、今回も理解を示してくれて妥協案を作ってくれた。事前にわかっていれば相続のやり方を変えていたのだけれども、さすがに通帳の返還は想定外。予定通りであれば昨日振り込み、そして来週後半くらいに通帳の返還というスケジュール。その後、銀行側からは特に連絡が無い。通帳が東京支店に戻ってきたら連絡します、ということになっているので、おそらく東京支店での受け取りになると思われる。それで完全に終了となる。

亡くなった母の年金手続き

今回、母が亡くなった日本年金機構で手続きをしましたが、その際の件について書いておきます。次に父の場合に役に立つと思うので。
 
これを書く直前に検索して以下を発見しましたが、実際はこれだけではありませんでした。以下は一般的なケースで、私の場合は以下に合っていなかったからとは思いますが。
 
 
今回、母が亡くなったため父が未支給分を受け取る、しかし父は高齢のため私が代行、ということになりましたが、以下を持参しました(事前に年金機構に電話して確認)。
 
 
委任状等、父が書くべきところを私が書くわけにはいかないので、薄く鉛筆で書いてその上をなぞれと言っても耳が遠い父は、薄く書いた住所、氏名は正しいというだけで書いてくれないという特殊事情はさておき、一番の問題は、処理は2週間以内にしなければいけないということ。そうでないと、亡くなった後に年金の支給(振り込み)が発生するからと思いますが、しかし、亡くなってから1週間程度、戸籍が動いている状況となり、戸籍謄本などを役所は発行することができません。つまり、実質的に残り1週間しかありません。近くに住んでいても1週間以内に手続きというのは(特に働いている人にとっては)きついはずですが、遠方の私は特につらかったです。また、書類を持って日本年金機構に行けばいいというものではありませんでした。山形だけの措置かもしれませんが、電話での予約が必要でした。予約なしで行くと、下手すると何時間もずっと待ちとなります。
 
木曜日、市役所に行き母の死亡の手続きをした際、年金機構に電話して月曜日に母が亡くなったため市役所におり、手続きがだいたい終わったので年金機構に電話して手続きを確認したいと伝えたところ、書類はこれこれが必要、そして予約が必要と教えてもらいました。明日は予約取れますか、と聞いたところ、明日はすでにいっぱいになっている、明日来るのであればいつになるのかわからないけどずっと待ってもらうしかない、と伝えられました。しかしその後、市役所で戸籍謄本をもらいに行ったところ、死亡届から1週間程度待ってもらうしかない、と教えられ、なんだよ、明日ってことありえないじゃない、だったら最初っからそれを説明してよ、と思いました。ただ、実際の手続きの際の担当者はとても丁寧で、おそらく世間の冷たい声への対応として注意しているんだろうなぁ、ということは容易に想像できました。
 
なお、母の年金は父の年金よりも少ないので亡くなった月の分(一か月分、日割りはしない)が未支給ということで父に支払われることになりますが、東京-山形の往復交通費等を引くとほとんで残金が無いという金額。やらない、というわけにはいかないのでしょうけれども、手続きをするとマイナスになる場合もあると思うので、2週間以内の手続きとか、もっと簡易な手続きの方法とか、無いのかなぁ、と思いました。支払いの停止はしなければならないとしても、未支給分の受け取りは拒否するので電話連絡、書類の郵送などで完了させるとか(できる仕組みがあるのかもしれませんが)。年金機構の第一線の担当者はきちんと対応しているのでしょうけれども、仕組みそのものがそもそもダメダメなのでしょう。
 
なお、生計同一関係に関する申立書は、(今回の私の場合は)亡くなった母は特養老人ホームに入っているため住民票は特養に移しているため、父とは別居になっているために必要です。なぜ別居なのか、未支給分を受け取る父が、亡くなった母に対してに対してどのようなケアをしてきたのか、を記述する書類です。さらにそれを証明する第三者が記入と捺印も必要です。特養に入っている場合は別居の理由は明確ですし、第三者は特養が記入、捺印するので比較的簡単ですが、そうではない場合、第三者の証明ってどうするんだろう、と思ってしまいました。
 
なお、提出する書類への捺印(認印)、そして手続きの中でも捺印が必要ですが、それらは同じ印鑑で行う必要があるそうです。

山形の葬儀における日赤の謎

3年ぶりにブログに書きます。FBが便利なものでそちらにシフトしていましたが、長い文章はFBには不向きなため、久々に再開します。いつまで続くのかわかりませんが。「はてな」独特記載の仕方も忘れてしまったため、最初は見栄えがよくないとは思いますが。
 
先週、実母の葬儀が山形であり、その時に山形における日赤の謎を知りました。ちなみに私は生まれは山形ですが、生まれてすぐに秋田に引っ越し、高校卒業のタイミングで実家は山形に戻りましたが私は山形以外の大学に行ったため、私は帰省の際に山形に戻る以外は山形に住んだことはなく、したがって山形の常識には疎いです。
 
その日赤の謎を説明する前に、まずは以下を読んでいただいたほうがいいと思います(いずれも、葬儀が終わってから私が見つけたもの)。
 
後者の方の地域が不明ですが、前者は確実に山形市です。そしてどちらも、日赤からの弔辞が披露されるのは「当たり前」という記述になっています。
 
実母が亡くなった後、数時間後から葬儀屋さんと葬儀の段取り調整が始まりました。私には兄がいますが兄はまだ到着していないので、私が葬儀屋と段取り調整をするしかありません(そもそもその葬儀屋に登録していたのも私ですから)。母が無くなって3時間後くらいですからこちらも頭が働いていませんし、葬儀慣れしているわけではありませんし、山形の葬儀のやり方に慣れているわけではありません。葬儀屋さんから、日赤の弔辞はどうされますか?町内会長からの弔辞はどうされますか?と聞かれ、???とは思いましたが、そういうめんどくさいことはいいよと断りました。翌日、私が実家にいた際に実家の近所の組長さん(町内会長の下にいくつかの組の組長がいる)という方が訪ねてきて、「町内会長の弔辞はどうしますか?無理強いするわけではなく、やってもやらなくてもどちらでもいいのですが、やるのであれば組長の私から町内会長に依頼しますよ。」と丁寧に打診され、そこまで言うのであれば無下に断る必要もないと思い、お願いします、と回答しました。その後、組長さんは直ちに町内会長に話に行き、町内会長さんも直ちに葬儀場に向かったようでした。その時、葬儀場には私の兄がいて、兄には組長さんからこういう話があった、と電話で伝えていました。その後、葬儀場に私が戻った時、兄からこんな説明を受けました(兄も山形の知識については私と同レベル)。
 
町内会長さんという人がやってきて、日赤にの弔辞はどうしますか?と聞かれたのでやらない、と言ったら、じゃあ、私の弔辞は無しですね、と帰ってしまった。
 
兄も私も何があったのだろう?町内会長さんに失礼なことをしたのかな?とちんぷんかんぷん。それでも気になるので、葬儀屋さんにこれこれこういうことがありました、そもそもあなたから日赤の弔辞はどうしますか、と訊かれていましたが、そもそもどういうことなのかよくわからないので説明してください、とお願いしました。
 
葬儀屋曰く。山形では葬儀の際には日赤からの弔辞(実際は弔電)を町内会長が代読するという風習がある、つまり、町内会長独自の弔辞があるわけではなく単に代読するだけ、時には町内会長の調整がつかない等の際には誰がそれを代読するのかでもめることがあり結構重要なポイントとのこと。
 
ふ~ん、なるほど。それで町内会長さんは、日赤の弔辞が不要であれば私の登場は無いわけですね、と帰ったということと納得。特にそれを町内会長さんが不愉快に感じている様子も無かった、と兄が言うので、葬儀は日赤の弔辞は無しで実施することにしました。
 
さて、葬儀は葬儀屋専属の司会者が進行するということで、事前に司会者と簡単な打ち合わせがありました。そこでも日赤はどうするか、という確認はあり、やりません、不要です、と説明しました。ところが、です。葬儀が開始され、ここでは弔辞というタイミングであろう、というところに来たところで司会者がこう言って、私も兄も凍り付きました。「どなたか弔辞を披露される方はいらっしゃいませんか?」。えっ?どなたかいらっしゃいませんか?ここで、私がやります、っと挙手するのが山形の風習?私も兄も、はい!っと挙手する人がいたらどうしよう、とギクッとしましたが誰も挙手することなく、葬儀は次に進みました。
 
そういえば、最初っから母の遺体の前には、蝋燭か線香か確認していませんが、日赤と書かれた長細い箱がありました。山形では葬儀における日赤は欠かせない存在のようです。
 
そのほか山形のお葬式には独特の風習があり、私の感覚では通夜→告別式→火葬、という流れですが、山形ではこの順番が異なり、納棺(あまり通夜とは言わない。また親族のみ)→火葬→葬儀(あまり告別式とは言わない)の順番だったり(つまり、葬儀に参列に来た段階ではすでに骨になっており顔を見ることはできない)、亡くなったことを知らしめるために山形新聞に掲載する風習があったり(ただ、線香をあげさせてください、と見ず知らずの人がやってきて怪しいものを売り込んだりするので、最近は新聞に載せない人が多くなっている)、納棺は親族のみなので平服でいい(私は喪主代行のような立場なのにTシャツにジーンズでした)とか、なかなかユニークな風習があることがわかりました。ただし、最近はそういう色も薄まっているようです。今回はそういうやり方を知らない私が段取りを決めていったので、亡くなった母の兄弟が何か言ってくるかもしれない、と思って構えていましたが何事もなく葬儀が終わりほっとしたわけですが、結構、ビクビクものの葬儀でした。
 
山形の葬儀については以下を見つけましたが、葬儀屋からは告げ人や御詠歌の話はありませんでした。ただ、もう半世紀も前のことですが、私の祖母が亡くなった時、御詠歌はありましたね。
 
 

GGになった日

イオン系スーパーを多用している人は知っていると思いますが、55歳以上の人を対象に、G.G感謝デーというのがあります。GGは「ジージー」を意味しているわけです。GGデーはありますが、BBデーはありません。BBの人もGGとして扱われます。なぜかこういうときには、BBの人はBBデーを作れ、男尊女卑だ、などとは言いません。

GGデーでは、GGの人は酒とかそういうものを除き、5%オフとなります。GGでなくとも「20日、30日 5% オフ」のCMでおなじみのように、イオンには 5% オフの日があります。また、私のイオンの株主様なので (と言っても、一番下のレベル)、基本的に 3% オフ (支払い時ではなくキャッシュバック) なのです。したがって 5% オフの日に頑張る必要もあまりないのですが、妻は 5% オフの日に燃えます。登山のようにリュックを背負い、両手に買い物袋といういで立ちで買い物から帰ってきます。以前は子供のベビーカーを使って大量の買い物を運んでいましたが、3人の子供をそれで育てた後、買い物で酷使したので壊れてしまいました (そのベビーカーも実は貰い物で、すでに2人、つまり計5人の赤ちゃんをそれで育て上げたという代物)。5% オフの日はレジも長蛇の列となります。私も何回も参戦しているので、そのすさまじさは認識しています。とはいえ、黙っていても 3% オフなのだから、2% に燃える必要はないと思っているのですが、そんなことを妻の前で言おうものなら、「あなたは主婦の苦労がわかっていない!」と罵倒されてしまいます。「その数十円のために、どれだけ努力しているのかわからないのか!」とえらい剣幕になります。とはいえ、数か月ごとに同じような掃除道具を買ってきては使わずにそのままにしている人も我が家にはいる訳でして、なかなか納得はしていませんが、それはともかくとして、今日の夕方、「今日からGGデーだ」というメッセージが LINE で私に届きました。先月末でめでたく GGデーの権利を得た私。その短いメッセージには、「GGに加入して何かいいものを買って来い!」という指示に他なりません。

GGデーで55歳以上だからといって自動的に5%割引になるわけではなく、GGカード (WAON カードのオプション機能?) が必要です。私の場合、イオンのクレジットカード(ゴールド)のオーナーであり、そこに WAON の機能も入っています。GGの説明パンフレットには、そのイオンカードに GG マークが入ったものが掲載されています。ということは、GG に加入するということはすなわち、GG マーク入りのイオンゴールドカードになるってことか?

でも、調べてみると、WAONN ステーション (WAONキオスク端末) で GG に加入できるとあります。つまり、対面で申し込むのではなく、機械で今のイオンカードに GG の機能をプラスできるということです。じゃあ、いいかな、と、早めに会社を出て、自宅近所のイオン系スーパーに行き、WAON ステーションで手続きをしました。

手続きは簡単。すでにイオンカードには生年月日などが登録されているため 55 歳以上を証明する必要はなく、単に GG カードへの移行を選択するだけ。ただ、すごく気になったのは、何度も「GGになるけどいいか?」、「後戻りできないけどいいか?」と確認を求められること。GG の機能をつけたらもうそれは取り消し不能、というシステムである場合、IT的に言うと少なくとも2回、確認を求めるのは当然ではあるのですが、たかが GG。「GGになるけどいいか?」と何度も確認を求められると、「もしかして何かあるのでは?」と勘ぐってしまいます。かつ、「お前は GG となるけど、その心構えができているか?」、「本当にそうか?」、「後悔しないな?」と言われているようで、内心穏やかではありません。とはいえここでチキンになって GG にならずに帰宅してしまったら、妻からまた何と言われるかわかりません。清水の舞台から飛び降りる気持ちで「Yes」を押しまくり。めでたく、きれいなイオンゴールドカード表面に (ちょっとは隠したい) GG マークを入れることもなく GG の機能を登録することに成功しました。

実際に買い物をすると、支払い時に 5% オフになっていることが確認できました。酒は残念ながら対象外です。それでも WAON ポイントも入れると約 200円オフですから、かなりなものです。

帰宅して妻に報告したら、案の定、「よっしゃー、次から私じゃなくて買い物はあなたね」と言われてしまいました。あと1年半したら、あなたも BB ではなく GG なのですけど。

矢木沢ダム点検放流

今日は1年に一回の点検放流の日 (近くにある奈良俣ダムはPMに実施)。YouTube で見て、これは行くしかない、と朝5時に出発。 7時には高速の水上ICを降りて道の駅に到着。ここでしばらく待機。放流は10時からですが今年からダムに直接行くことができず、下にある臨時駐車場に車を停めてそこからシャトルバスで会場に向かうことになりました。

高速では天気はあまりよくありませんでしたが、駐車場に着いた時にはすっかりいい天気。車はばらばらと集まってくるので、バスがごった返すということはありませんでした。大型のバスとマイクロバスが頻繁に行き来しているようですが、ダムへの山道が狭く、片道15分はかかるので、行きはよいよい帰りは怖い、ということになりました (でも、比較的運営はうまくいったと思います)。

9時には会場到着。橋の手前にテントがあり、ここでダムカードをゲット。ダムカードは、今日の日付入れと日付なしがあり、日付ありをもらいました (ただ、ダム上部で同様にダムカードをもらうことができました)。まだ、人であふれるという感じではありません。

ずっと下で放流を待つのも退屈なので、そこからさらにシャトルバスでダム上部に上がり、放流開始は上で見て、それを見たら下に降りて下で水を浴びる、ということにしました。

上まで上がってくる人は少ないのか、そんなに混んでいませんでした。放流開始時にも20〜30人くらいでしょうか。

ドローンもいました。

展望台からの景色も素晴らしい。


放流は、水門のようなゲートが上がることで水が流れ落ちるようになっていました。YouTube なんかでは下の流れ落ちるところばかりで、どうやって放流しているのかわかりませんでしたが、これで謎が解けました。


ゲートの開門を見る人は少なかったので、下りのシャトルバスもほとんど待ち無しで降りることができました。バスを降りてそのスポットに向かうと、いるわいるわ。でも、あまりに多くてベストスポットに近付くことが出来ないというほどではありませんでした。

早めにカッパに着替え、その時を待ちます。MAXは10:30〜10:40。今日は風向きがよかったのか、上から豪雨のように降り注ぐ、という感じではありませんでしたが、ベストスポットに入るのであれば、やはりカッパは必須です。一度下にたたきつけられて舞い上がった水が落ちてくる、という感じですが、それなりにザザっと来ます。非日常的な体験ですが、行ってよかったと思います。

駐車場への帰りはやはり混みます。一気に帰るからです。それでも天気がよかったし、30分くらいの待ちでしたから、まぁまぁ、よかったと思います。途中、歩いて帰る人を追い越していきましたが、歩いたら1時間は最低、かかるのでしょう。

駐車場に戻り、次は奈良俣ダムに。放流は14:00からの1時間。帰りを考えると今回は放流見学はパスして、ダムカードのゲットのみにしました。12時前後にダムの下部に到着しましたが、すでに人が待ち構えていました。おそらく矢木沢ダムからここに早めに移動してきたのでしょう。

ダム上部へはまだここから車で10分くらいのところにあります。普段は余裕で車を停めることができると思える資料館もすでにいっぱい。なんとか路駐で停めることができる場所を見つけて、ダム見学 & ダムゲット。

後は帰りを急ぐだけですが、通り道にある藤原ダムダムカードをゲットして水上ICに入りました。

GW介護帰省最終日 (2016.05.05)

最終日は鬼怒川沿いの4ダム、湯西川ダム五十里ダム川治ダム、そして川俣ダム制覇が目標です。

朝、5時前に私は起きていましたが朝風呂に入ろうと言っていた次男と娘はなかなか起きてきません。5時半になって起きてきたので、妻といっしょに朝風呂に。日替わりで男女が入れ替わるので、昨日とは違う側のお風呂。とはいえ、ミスとサウナと普通のサウナが違うくらい。露天は昨日のほうが少し広いのですが、朝でほとんど誰もいないので狭くても気になりません。

朝食はバイキング。品数はそんなに多くはありませんが、これくらいあれば十分でしょうという品数。人気の料理は追加が追い付かない、また10部屋しか想定していないので後から行くと無くなってしまう料理もありますが、我が家は基本一番に入るのでその心配は無し。地元の野菜類がおいしいです。こういう時、私は白いご飯よりもお粥を食べます。理由は特にないのですが、バイキングは量を食べてしまうので消化を助けるためと普段食べることが無いからでしょうか。お粥と漬物が結構合います。

食堂から見える広々とした庭の景色がきれいです。私の部屋は同様に庭を向いていました。反対側のほうが少し安いのですが、今回はキャンセルで空いた1部屋を確保したので選択はできませんでした。

7時に入って食べ終わったのが8時半くらい。他の人たちはさっさといなくなったので、我が家だけ居座って食べ続けたことになります。朝ごはんをお腹いっぱい食べてすぐに車に乗ると娘が心配なので、9時まで庭を散歩したりしてゆっくりしてからの出発。夕ご飯の時の飲み物を加えても6万円未満で収まりました。

R289 で会津田島に向かい、そこから南に折れて R121 で日光方面に向かいます。途中、道の駅 きらら289 はパスしてその次の道の駅 たじま でトイレ休憩。3連休の最終日、道の駅は車でいっぱいですが、皆、トイレ休憩が目的の時間帯なので回転は早かったです。ここは以前、とちもちを買ったところ。とてもおいしかったのですが、朝ごはんをたくさん食べたのでお腹に入りそうもありませんでした。

栃木県に入り、まずは 湯西川ダム から。道の駅 湯西川 を通り過ぎてそのまま山に向かい、湯西川ダムに向かいます。駐車場に ダックツアー のバスが駐車していましたが、ダム湖に目をやると水陸両用車がいました。

管理事務所横のインターフォンで呼んでダムカードをゲット。同時に4ダム制覇のためのスタンプラリー台紙をもらい、湯西川ダムのスタンプを押して次の五十里(いかり)ダムに。

山を下りてさっき通り過ぎた道の駅湯西川をまた通り過ぎて再び R121 に戻り南下。五十里湖沿いに進むと 五十里ダム が見えてきて、五十里ダムに隣接している「わくわくダムダム資料室」の駐車場に車を入れます。資料室でダムカードをもらい、スタンプラリー台紙にスタンプを押してダム見学 (次を急いでいたので写真を撮らなかった模様。残っていなかった。)。

次は近くの 川治ダム。前、来たときはまだ寒くて川治ダム資料館がクローズしており近くの管理事務所でダムカードをもらいましたが、今日はオープンしていました。まず最初にダム見学。放水しており虹を見ることができました。

資料館は 1F がお土産屋さんですが、ダムカードは 1F でもらうことができます。スタンプは 2F。

さて、最後は 川俣ダム。ここが一番難しい。湯西川ダム五十里ダム川治ダムは比較的近くにあり、また大きな道路から行きやすい場所にありますが、川俣ダムは本当に山奥。かつ途中、車がすれ違うのも難しい山道がありスピードを出すことができません。川俣ダムによると帰宅時間が夕方になってしまいますが、ここまで来たら行くしかありません。途中、ガソリンが心配になってきたので給油をして川俣ダムに向かいます。

川俣ダムは、ダムからちょっと離れたところに駐車場があります。そこから歩いてダムに向かうのですが、前に私一人で来た時には冬季のためその道は閉鎖されており、普段は一般車は通ることができないダム施設のトンネルを車で通ってダムに行ったものですが、今日はその歩道は開いていました。

歩道を歩いて10分くらいでまずはダムの資料館にたどり着きます。そこから外に出るとダムと管理事務所があります。

管理事務所ではインターフォンで呼んで、ダムカードとスタンプラリーのごほうびであるフォルダをもらいました。

川俣ダムはほんとうに大自然の中にあるきれいなダムです。ダムの向かいには吊り橋があり、歩いて吊り橋まで行くことができます。

帰宅時間が心配になってきたものの、こんな天気のいい日にせっかくことまで来たのですから行くしかありません。ちょっと狭いのですがよく整備された階段道を降りていくこと約20分。途中、鐘を鳴らす場所があったりして休憩することもできます。


吊り橋は結構頑丈に作られており、大きく揺れることはありませんが、それでも人が歩くと揺れます。渡った先は行き止まりなので、ダムからしか行くことが出来ません。ダムを造った時に観光にためにこの橋も作ったのでしょうか。橋の真ん中から、ダムを正面に見ることができます。ぜひ放水の時に橋の上から見たいものです。


また歩いて車に戻った時には、皆、汗びっしょり。エアコンの冷房をMAXにして山下り。さっきの川治ダムまで戻り、そこから日光道に入り、東北道圏央道を経由して18時に自宅着。途中、東北道で渋滞に遭わなければ17時頃には到着できたことでしょう。

本日の成果です。

GW介護帰省2日目 (2016.05.04)

昨晩、疲れ切っていたので朝ごはんの準備をしておらず、実家から降りて行ったところにあるコンビニ (元三辻屋酒店) で朝ごはんの買い出し。

ばばのところに顔を出してさようなら、また来るね、と挨拶。ばばはまた泣く。

今日は福島県の只見町で宿泊。山形は昨日とうってかわって激しい雨。でも、米沢あたりから雨脚も弱くなり、福島県に入ったあたりで雨は上がりました。予定にはなかったけれど、日中ダムに寄り、車の中からダム見学。管理事務所にダムカードください、と封筒を入れ (前回は無くなっていた封筒も供えられてありました)、ダム下に降りて下の温泉宿からダムを見上げ、ダム見学終了。

日中ダムの後、近くにある道の駅 喜多の郷 でトイレ休憩。妻はラーメンバーガーに興味を示しましたが、手が汚れるのでやめてくれとお願いし、フライドポテトに変更してもらいました。

喜多方を通り抜け、只見線に沿って山に入っていきます。道の駅 会津柳津 で休憩。ここは景色が素晴らしい。只見川越しに見ることが出来る「福満虚空蔵尊 圓蔵寺」という不思議なお寺。ここはどうやら赤べこ発祥の地(?)らしい。この道の駅は2回目で、前に来た時もあのお寺に行ってみたいと思ったのですが、今回も時間が無いのでパス。

道の駅には大きな赤べこが2頭います。看板を見ると、どうやら他にお母さんや子供もいることが伺われますが、どこにいるのかは不明です。


ここでお昼ご飯。メニューの最初のページにおいしそうなたらの芽の天ぷらがあったので1つ注文して皆で食べましたが、今日の宿泊先でも出てきて、あれれっという感じでした。

道の駅「会津柳津(やないず)」を出て、本当は次の道の駅 尾瀬街道みしま宿 に車を止めて近くのビューポイントから只見川を見ようと思っていたのですが、これも時間の関係でパス。

すっかり天気も良くなり、只見川沿い (R252) の景色も美しく快適なドライブです。途中、本名ダムの天端を渡りますが、左には水害で落ちたままになっているJR只見線の第六只見川橋梁を見ることが出来ます。

R252をそのまま進み、只見ダム湖畔にあるJPowerの只見展示館で休憩(ここは土日も開いています)。

ここで田子倉ダムダムカードをもらい、田子倉ダムに向かいます。

只見展示館から田子倉ダムまでは車で20分くらいだと思いますが、最初、田子倉ダムの壁に向かうような形で進み、ダム近くから登りになります。登り切るとそこにレストハウスや展望台があります。田子倉ダムの湖だけではなく、只見ダムまでを望むことができます。遊覧船も出ていますがそれはパス。


ダム見学の後は、今日の宿泊先である 湯ら里 に向かいます。いったん、先ほどの只見展示館まで戻りそこを過ぎて、JR 只見線只見駅を過ぎたあたりで右に折れて R289 を進み、30分弱で到着。


「湯ら里」は深沢温泉というところにあります。R289 から小高い丘を登ったところに広いエリアがあり、道路を挟んで地元民のための立ち寄り温泉と宿泊もできる交流促進センターがあります。今も持ち主は只見町ですが、運営は外部に委託されているそうです。


宿泊は基本 2F で10部屋しかありませんので、そんなに大きな宿泊施設ではありません。できてからかなり経つようですが、まだかなり新しいという感じを受けます。豪華温泉施設ではありませんが、余計なところにお金をかけて高い料金を取られるよりは、質素なこの程度で十分、という宿泊施設です。

立ち寄り温泉である「むら湯」は規模は小さかったです。洗い場は5つしかなかったので、すぐにいっぱいとなりますが、そんなに一斉に押し寄せる時間でなければ大丈夫でしょう。残念ながら露天風呂はなく内湯のみ。茶褐色のお湯。

「湯ら里」のお風呂は露天もありますが、茶褐色の温泉から鉄分を抜いているようで無色透明で温泉臭もありません。間違いなく温泉ではありますが、水道水を沸かしたような感じで、「むら湯」に入った後ではちょっと物足りなさを感じました。

夕食はバイキングではなく和食膳。子供たちには初めての経験なので最初は戸惑っていましたが、こういう経験もさせないとね。量はちょっと多いかな、といううレベルです。よく、食べきれないほど出すところがありますが、そういうところは私も抵抗があり、この程度で十分という内容です。ほとんど地のものを使っているところもいい。魚は川魚。天ぷらのエビの除いては野菜類は全部、地のものでしょう。

食事の後、運転しっぱなしの私はもう寝たい気分でしたが、次男と娘がお風呂に行こう、というので頑張ってお風呂に行き、就寝。

本日の成果です。