介護帰省 (2015/02/08)

朝3時に出発して山形に。8:30 に山形蔵王IC到着。このままでは実家に9時到着でちょっと早い。そこで今回、帰る前に行ってみたいと思っていた百目鬼(どめき)温泉の場所を確認しようとナビをセットして行ってみたのですが、最初、行き着くことができませんでした。後でわかりましたが、田んぼの真ん中にあり、ナビの地図と実際はちょっと違ったり、農道を走っていくようなところなので雪で閉ざされていると遠回りの道を走らないと行けなかったりする模様。周囲の比較的広い(?)二車線道路を走っていると、要所要所で手作りの「こっち」という感じの看板が出てきます。ただ、その先にはそれらしきタテモノは見当たらないのですが、それは気にせずにどんどん農道を走ります。とはいえ、それでなくても狭い農道。両側に雪があるとすれ違いは難しい幅となっています。農道はまっすぐ数百メートル続いています。とにかく、対向車が来ませんように、と願いながら、雪に覆われた農道をゆっくり走ります。あった、見つけた。なるほど、ここかー。これじゃあ、遠くから見てもわからんなー。一回行けば、周囲を走り、後は案内にしたがって農道をまっすぐ行けばなんとかたどり着けるということがわかりますが、最初は戸惑うかもね。今日はちょっと曇りですが、蔵王を見ることができました。

ついでなので、近所にある沼木温泉も場所確認。外面だけで言えば、百目鬼温泉よりも観光温泉って感じですね。ただ、ナビ一発で行けますけど。どちらにしても料金が350円程度というのがうれしい。さすが温泉県。全ての市町村に最低1つは温泉があるというところなので、特に珍しいわけではありません。ホテルの日帰り温泉に行くとやはり1000円くらいかかりますが、その辺にある温泉であればそれくらいの値段です。

さて、実家に行ってオヤジをつれて母が入院している病院に。もう3つ目です。今回の件で私も初めて知りましたが、急性期 - 回復期 - 慢性期 という分け方があり、それぞれ別の病院になったわけです。今の病院は慢性期の病院。入院は入院ですが、リハビリのための入院。脳梗塞および高齢なのでもうそんなに回復は望めないのですが、1週間もつかどうかわかりません、1週間を乗り切ったとしても右半身麻痺と言語障害は確実に残ります、もしかしたらあなたのことを認識できないかもしれません、奇跡が起こったら車椅子に乗れるかもしれません、と前の2つの病院から言われていたことからすると、奇跡は起こったわけです。一人で車椅子をこぐことはできませんが、食事中、自分ひとりで椅子に座り、残った左手でスプーンを使って食事をできるまで回復しました。ただ、言葉が出てこないので、自分の意思を示すことができず、かなりフラストレーションがたまっている模様。

そういう病院なので、面会と言ってもずっと病室で会っているわけではなく、学校の授業のように時間でリハビリの担当者がやってきては、病室で、もしくはリハビリ専用の部屋でリハビリを行う、という1日をすごしているようです。したがって、我々も面会相手がいない病室でずっと待っている、ということになるのですが、どちらにしても話ができないので、こっちのほうがいいかもしれません。

面会を終えて実家に戻ると、また家宅捜索開始。毎回、少しずつやってはいますが、そもそも全部で何があるのかわからないので、終わりがよくわかりません。父に聞いても「さぁ、わかんねーな」と言うばかり。自分が生命保険に入っているのかどうかもわからないし、家の中を探しても証書や1年に1回届く案内の手紙も発見できないのでは困難極める作業。それでもやっと住友生命からの手紙を発見(前回は無かったはず)。そこに記載されていたところに電話をしてなんとかオヤジが住友生命に入っていることを確認。とはいえ、怪しい詐欺がたくさんある昨今、いくら息子と言っても生命保険の内容までは教えてはくれません。本人からの申し出がないと駄目。しかし、単純にオヤジに電話口に出てもらったにしても、話が通じるかどうかかなり怪しい。前もって入念にオヤジに説明した結果、なんとかオペレータと話が通じたようで、私宛に保険内容がわかる書類を送ってもらうこととなりました。たったこれだけをやるのにも数時間もかかり、ヘトヘト。

その後、つい最近、開かなくなったという金庫開けに挑戦。前から危険だと思っていたので、前回来たときに何が入っているのか確認し、開かなくなっても直近、困ることはないだろうと判断していたのですが、やはり開かないのは困ります。なぜかインターネットでリセットの方法が出ていたのでそのとおりに数回、やってはみたのですがやはり駄目。今回は時間が無いので次回以降にしますが、やはり専門家を呼ぶしかないでしょう。そもそも、金庫なんて何で買ったんだ!そんなたいした財産なんて無いはずなのに。やはり35年くらい前、家を建てたときにうれしくて金庫も買っちゃったんだろうなぁ。

その日は疲労困憊で、晩御飯を食べる元気も残っていませんでした。私はビールのショート缶1本も飲むことができません。そもそも、おかずを作る素材も何も無いことはわかっていたのですが、親父はどうするのだろう、とじっと見ていたのですが、「そこあたりを探して適当に作れ」と言って親父も寝てしまいました。この前来たときは、夜、食パン2枚しか無かったので、「明日の朝、どうする?」と聞いたら、不思議そうな顔をして「食パン2枚あるから大丈夫だろう?」という返事。さすが88歳にもなると、全ての基準が自分になるようです。えっ?一人1枚でおなかいっぱいだろう?ってことですかね。