介護帰省 (2015/01/10)

今日からの3連休、今日と明日は母の件でまた山形に。病院から今後のリハビリについて説明したい、そして、次の病院とその後の施設の件で相談したい、という電話がかかってきていました。実は今の病院に転院したその日に、早くも次の病院探しが始まっています。

脳梗塞で倒れて救急車で山形大学の付属病院に運ばれましたが、そこは急性期での対応、それを奇跡的に乗り越えたので回復期として今の病院に転院しましたが、その後の慢性期対応の病院探しはすでに先月から始まっていたのです。

10時目標に病院に向かいます、ただ、車で行くので時間はずれる可能性があります、と連絡をしていたので絶対ではありませんが、10時に間に合うためには家を遅くとも3時に出なくてはなりません。ただ今回は、最終的な施設を探すための条件の話があり、そのためにはこちらがいくら出せるのか、という情報が必要。正月に帰省した兄が通帳を整理したものの、キャッシュカードが無かったり、この他に何が在るのか等を父にきいてもわからない、という回答。父もかなりの高齢で会話が成立しないことがあったり、家のことは皆、倒れた母に任せきりだったので、何もかもわからない、という感じ。したがって、今回は病院直行ではなく、まず、実家に帰り、急いで通帳などでお金の出入りを把握してから病院に行き、ソーシャルワーカーの方と相談したいので、そういうことでは家を2時には出ないといけません。ところが起きたのはもう4時近く。10時病院到着ももう駄目。なぜ起きるのが遅れたかと言うと、もしかしたら母が見ても認識できないかもしれませんが (そもそも、昨年行った時、私を認識できたかも不明)、病院で寝たきりで天井しか見ていないと思うので (脳がかなり死んでおり、半身不随で失語にもなっている)、刺激を与えるためにこっちで撮った孫のビデオでも見せてあげようと思い、仕事を終わり帰宅してから12時までかけて、PCにコピーしていたからでした。

今回は恐れていた雪はまったく影響なく、すんなり山形に到着。実家でざっくりお金を把握し (父との会話も基本的なやりとりにものすごく時間がかかります)、父をつれて急いで病院に。同じ山形市内とはいえ、こちらは市の南端、あちらは市の北端なので、土曜日ですいているバイパスを車で飛ばしても30分はかかります。

まず病室で母と面会。明らかに前回とは顔が変わっています。半身麻痺なので以前と同じ顔に戻ることはないにしろ、かなり普通の顔に近づいています。失語のため言葉は出てこないので確認はできませんし口もうまく動かせないので口の動きで何を言っているのかを読み取ることはかなり難しいのですが、明らかにこう言った、とわかることが数回あったり、1年も前の話をしたときに「わかる」、という反応をしたり、ビデオを見せたときに私の娘の姿を見てにっこり笑ったり、という具合に、かなりよくなってきています。看護婦さんも、時々声が出る、笑うこともある、と言われました。正直、昨年、病院に担ぎ込まれたときには1週間もたないかもしれない、仮にそれを乗り越えても MRI の結果から半身不随は避けられない、失語になる可能性が高い、誰が誰であるかを認識できないかもしれない、と言われていたのですが、それからすると、かなりの回復具合です。

先生と今後のリハビリについて説明を受け、了承する旨、書類を書き、その後でソーシャルワーカーさんと今後のことについて相談。今の病院は長くても1,2ヶ月しか居られない、次の病院としておそらく受け入れてくれるであろう病院が見つかったが、発症から2ヶ月以内に入院しないといけない (ということは、今月〜来月頭に転院)、一般的に土日の転院はできないので申し訳ないが、また来てもらうことになる、その次の病院も一般的には2,3ヶ月、長くても5ヶ月くらい。最終的に自宅に戻れない場合は施設を探すことになるが、安くていいところは当たり前だけどなかなか空かない、民間の場合は最低でも月12万円くらいかかる、お金の話で申し訳ないけれどいくらくらい出せそうですか、等の話。誰も責めることはできないけれど、お金が無い人は行くところがなくなるのかなぁ、などと思ってしまいます。

実家に戻ってから、まずは気になっていた洗面所を掃除。それが終わったら銀行関係の書類、年金関係の書類、保険関係の書類等を確認および記録。近所のコンビニまで歩いて10分以上雪道を歩かないといけないし、コピーするとしても大量にコピーしないといけないので、スマホでバシバシ写真撮影。時々、これはどうなっている?と父に聞いても「さぁ?」「わかんないなー」という回答ばかりで要領を得ません。仮に回答があっても何度か確認するとコロコロ回答が変わるので、結局は書類ベースで確認するしかありません。でも、全て発見できるわけではないし、銀行や生命保険会社に息子だと名のって内容確認の電話をしても教えてくれるわけはないので、最終的には成年後見制度で対応するしかないのでしょう。まだ父や母がきちんと対応できるときに記録しておくべきでした。とはいえ、父や母がちゃんとしている時に、そんなこと聞くことはできないでしょうし・・・

山形の実家には、以前と比べてビールの箱が増えていました。自分の食事もままならない父が買ってくれておいたとは思いますが、魂を抜かれてしまった状態なのでショート缶1本でいっぱいいっぱいでした。