インドに来て考えること

インドに来てつらいことはたくさんありますが、一番つらいのは、格差の大きさをまざまざと見せつけられること。巨大できれいなIT系企業のキャンパス。そこは、入口はガードマンが固め、周囲は高い壁で囲まれているのですが、その横では天井がブルーシートの家があったりします。どこの国でも貧富の差はあるにしろ、インドの場合はそれがあまりにも大きく、またガンジーでさえ変えることができなかったカースト制がいまだに存在し、それは個人の努力ではどうすることもできません (カーストによって大学の優先枠があったり、アンタッチャブルでも政治家になったりしているようですが)。
今回、現地のパートナー会社のはからいでハイデラバードの観光スポットの1つであるゴルコンダ・フォートに行ってきました(インド版万里の長城?)。入場料は、インド人は5ルピー、外国人は100ルピー。1ルピーが1.6円ほどなので100ルピーでもたいした値段ではありませんが、インド国民と外国人とでは20倍も違うのですね。そこは市内の小学校の遠足のメッカになっているようで、ひっきりなしに小学校の団体が押し寄せていました。そして、ある小学校の団体の中に、裸足の子供が多くいるクラスがありました。サンダル履きの子供もいましたが、かなりは裸足。その日は最高気温はおそらく35℃を超えていたと思うのですが、登る石畳が熱くはないのだろうか、足の裏が痛くはないのだろうか、と、観光はそっちのけでその子供たちが気になって仕方ありませんでした。もちろん、彼らはそんな余計な心配をよそに跳ねまわっています。その中に、おそらく小学生の妹なのでしょう、遠足のお姉ちゃんにくっついてきたと思しきかわいい小さな女の子がいました。時には先生やお姉ちゃんにだっこされたりしていましたので、あの丘を登るのも大変なのでしょう。その子も裸足。こういう小さい女の子を見ると、私の娘を思い出してしまいます。今の日本では靴を買ってもらえないということはないのでしょうけど、インドに産まれたら、もしかしたらうちの娘もあの子のように裸足かもしれない。そう考えると、彼女らを直視するのが非常につらい。
でも、そういう感情を抱いてしまうのは、実は上から目線で見てしまっているのか、などとも考えてしまいます。平均的には日本に比べたらインドの経済所得はかなり少いです(もちろん物価も非常に安いわけですが)。今は発展途上にあるインド。その国にいる人たちと、どういう立場でどういう気持で相対すればいいのか。前回の出張の際もそうですが、とても考えさせられました。現地のパートナー会社に対しては、いつも対等のパートナー、という言い方を私はしてはいますが、もしかしたらやはり上から目線で見ているのではないか、それは彼らも気がついてはいるけれど今はそれを黙って受け入れており、いつか見返してやる、という感情を抱いているのではないか。日本にいる時でもこういうことを考えることもままあるのですが、あの女の子を見て、改めて考えされられました。ただあの子が笑顔でお姉ちゃんといっしょに楽しそうに見学している姿を見て、救われるような気持ちです。彼女からしてみたら産まれたときからそういう環境で育っており、それが当たり前のはず。そして、大きくなるに従っていつかはその社会矛盾に気が付くのでしょう。
ただ、何が人間にとって幸せなのだろう。本当に日本で生まれ育った子供は幸せなのだろうか。子供を持つ親として、自分の子供に対して何を教えていけばいいのか、どう接していけばいいのか。改めて考えさせてくれたインド出張でした。