いじめ

桐生市の小学校でのいじめの問題は教育委員会が入って、やっと学校側もいじめがあったことを認めたようです。もちろん、亡くなった子供、そしてその親御さんが一番、可哀そうであることは間違いありません。ただ、どれだけの悪意があったのかはわからないのでうかつなことは言えませんが、いじめをした側そしてその学校の子供の心のケアも忘れてはならないと思います。
子供は大人が思うほど、いじめを深刻なものと考えてはいないのではないでしょうか。一種のゲーム感覚でやってしまったり、いっしょにそれに加わらないと今度は自分が仲間外れにされるのでいじめに加わってしまっているケースもあると思います。理由はどうあれ、彼らは一生、重い十字架を背負っていくことになります。
私は小学校4年生の時、父親の転勤のために他市に転居しました。転居する前の小学校のクラスは皆とても仲良しでした。担任の先生(男性)もとても優しい先生で、一度も怒った顔を見たことがありませんでした。私にとってはいまだにベスト1の先生です。引っ越した先の小学校もとりたてて悪いクラスではありませんでしたが、いじめがありました。ただ当時(S40年代)は学校のいじめが問題になることはなく、今考えると、あれはいじめだったな、と思うのです。
いじめの対象はある女の子でした。転校してきた私は、その女の子が男の子から「汚い!」、「近くに来るな!」などひどい言葉を投げつけられているのを見て、なんでこんなひどいことをするんだろう、と思いました。でも、転校してきたばかりで友達はおらず、その女の子をかばうようなことをすると仲間外れにされるのではないか、と考えたのでしょう。どういう態度をとったのか私は記憶がありませんが、いじめを止めることはしなかったと思います。
今思うと、あの時、なんでいじめるのは止めよう、と言えなかったのか、とても悔いが残っています。言い訳がましいのですが、前の小学校の先生のような人がバックでささえてくれていたら、状況は違っていたのだろうと思っています。すでにその地に私は住んでいないのでいじめられていた女性に会うことは無いと思いますが、もし会うことがあったら、あの時は申し訳なかった、と謝りたい気持ちでいっぱいです。
その女の子は毎日泣いていましたが、気丈にも毎日、学校に来ていました。そして中学校に進み、いつしかいじめはなくなったと思います(正確に言うと、中学校で誰かがいじめられているという記憶がありませんので、今思うと、おそらくいじめはおさまったのだろうという判断です)。したがって、桐生市の今回のような悲しい終わりを迎えることはありませんでした。でも、いまだにいじめの事件を聞くたびに、過去のあのことを思いだします。そして、かつてのいじめで受けた彼女の心の傷は今はどうなっているのだろう、ということも気になって仕方ありません。
桐生市の場合は小学校6年生なので、私のときよりはもっと分別がついている年齢とはいえ、悲しい結末を迎える前に大人が早く介入することはできなかったのかと、残念でなりません。あまりに早く大人が介入しすぎて、子供たちで解決する機会を奪うのもどうかとは思いますが、かなり長い間いじめが続いていたようですから、介入する機会はかなりあったのではないでしょうか。